日本の探偵の歴史

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日本の探偵の歴史 - 2015.02.08(日)

wa-ore日本の探偵は隠密の血筋から生まれた

江戸時代。
徳川幕府によってつくられた封建制度が確立されると、これを機に、徳川幕府は隠密制度を行っていました。
この隠密制度とは、代官に百姓、またはそれに成りすませる忍びの者によって、各藩の情報を集める事でした。
この隠密達は機密書を貰って調査にあたっていたので、出入探題と言われる、現在で言うところの調査員を数十名擁していました。

当時の出入探題法の掟は厳格であり、一度失敗するとお役御免となり、その仕事ができなくなってしまうという大変厳しいもの。
そのため、出入探題の多くは他の土地に移り、その技術を生かすことで探偵業兼コンサルタント業を開業しはじめたのです。
彼らは、藩の重役や豪商と関係を持つことで大きな収益を上げはじめました。

wa-ore近代化と探偵社会

明治維新により江戸幕府が転覆すると、その後様々な新制度が打ち出されました。
しかし、この新制度のせいで各地にテロや暴動が頻発しはじめたのです。
そのため、明治政府は情報収集と問題処理のため密偵を配置する事となり、この頃より『探偵』という言葉や、それを職業とする人間達が出始めました。

ちなみに、当時でいうところの『探偵』とは、警察官を指す言葉でもあり、ここから民間の探偵を『私立探偵』と呼び分けるようになったのです。

しかし、日本の探偵業の発展のは、海外のそれとは違いました。
イギリスやアメリカ、フランスなどをはじめとする探偵先進国で探偵業が発展した主な理由は『司法機関の代わり』であったのに対し、日本の探偵業はあくまで『商業の発展』のために活躍し続けたのです。

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特に株式会社の登場と、企業間の大規模な取引などが活発化しはじめた頃、企業情報の重要性が問われはじめると、『興信所』と呼ばれる企業の情報を取り扱う探偵社が多数生まれはじめ、日本の探偵社は急成長しはじめます。
この発展に一役買ったのが、アサヒビールの創始者である外山脩造。
彼は、商売のノウハウを学ぶために海外へ渡航した際、そのノウハウを持ち帰り、企業間の取引をより安全なものとするため『商工興信所』(後の東亜興信所)を作りあげました。

また、その後日本で最も有名な探偵社『岩井三郎事務所』が設立され、大規模な汚職事件や会社間の紛争解決に効力を発揮しはじめたことが、後の探偵業に大きな影響を与えることとなります。

wa-ore第二次世界大戦後の探偵

第二次世界大戦が終わると、探偵達の重要な仕事に『人探し』という項目が加わりはじめます。
これは大戦の影響で生き別れたり、行方が解らなくなってしまった人たちが日本中に溢れていた為であり、また、陸軍で情報収集任務にあたっていた情報将校(スパイ)らが帝国陸軍が解体されたのを機に、国内で探偵業を営みはじた事例もあります(日本で初めて探偵学校を開いた児玉尚道氏は、元陸軍情報将校)。

その後、四大興信所と呼ばれれる探偵社(帝国、将校、ジンコー、帝探偵)は、探偵社でありながら数十か所の事業所と1000人を超える調査員を有するまでに成長しました。

しかし、高度経済成長期に入ると、探偵社の需要が劇的に増しはじめ、様々な問題やトラブルが続発する事となります。

特に問題となったのが「差別調査」といわれるもの。
大企業の依頼を受けて、その会社に入社する予定の人物が、差別的な扱いを受ける地域の出身者であるか否かを調べ上げ、それを報告する探偵社が大阪府で告訴されました。

また、この頃から浮気調査などが主な依頼内容となりはじめ、弁護士、行政書士とのパイプもしだいに大きくなりはじめました。

wa-ore現在の探偵社

現在、探偵社は浮気調査や所在調査を主な収入源とする事務所が殆どとなりました。
また、企業情報を取り扱う興信所は現在『帝国データバンク』『東京商工リサーチ』といった2大企業がその殆どを取り扱うようになりました。

しかし、それでも探偵業の変化は終わっていません。
恐らく、探偵という職業は、社会や文明があり続ける限り存在します。
その時々の時代や、情報の在り方によって姿や形を変えつつ、社会の片隅で永遠と生き続けていくのでしょう。